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五代目 歌川 広重(ごだいめ うたがわ ひろしげ、明治23年〈1890年〉3月10日 - 昭和42年〈1967年〉7月25日)とは、大正時代から昭和時代にかけての浮世絵師。 == 来歴 == 四代目歌川広重の次男。本名は菊池寅三。四代目歌川広重こと菊池貴一郎の次男として生まれ、父の家業である書道塾を経営し、父に絵を学び、五代歌川広重の名跡を継いだ。大正末期から昭和初期に若干の肉筆画を残している。「雪月花図」では中ほどに「富士山之景」と題して浅草待乳山の雪景を描き、下部は「向島之景」と題して三囲神社と桜を描いている。そして、その上に大きく「月」と墨痕黒々と大書している。このように雪月花のうち雪花を絵で、残る月を書によって示しているが、父を継いで書道塾を経営し書を得意としたことによると思われる。昭和7年(1932年)には東々亭主人とともに写真集『江戸の今昔』を編集刊行し、失われてゆく江戸の町を文章と写真で記録するという仕事をしている。しかし昭和19年(1944年)の東京大空襲により、四代目歌川広重から居住していた日本橋本石町(もと本銀町)の自宅兼書道塾から一時、上野桜木町、寛永寺真如院に移転した。ところがさらに戦災に遭い、伊豆大仁に疎開する。その後、昭和28年(1953年)に東京都葛飾区亀有に引越した。昭和42年(1967年)7月25日、享年77で没した。墓所は父の眠る港区白金の興禅寺。法名は知達院悦山道寿居士。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歌川広重 (5代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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